9月16日から18日まで三日間、
東京練馬区の光が丘公園でロハスフェスタが
開催されて、NOCも出展しました。
物販と共に恒例の「ぬいぐるみワークショップ」を行いました。このワークショップは、あらかじめクマやねこ、ウサギの形に縫製加工したぬいぐるみの側地を用意しておいて、参加する子供たちはこの側地に綿を詰めて形を整え、顔にはフエルトシートで目鼻口を貼り、カラフルなリボンを首にあしらって完成というものです。
子供でも20分くらいでできる手軽さで,毎回人気です。テーブルには次から次へと子供が張り付いて、ぬいぐるみに綿を詰める作業を楽しんでいました。
出来上がるとさっきまでの真剣な目つきが嬉しそうな笑顔に変わります。
「名前を付けて可愛がってね!」と声を掛けると「うん」と頷き、完成した
ぬいぐるみを高く掲げながら離れてゆきます。
その可愛らしい後ろ姿を見送るのが最大の楽しみです。
このワークショップの狙いは、参加者にオーガニックコットンの布地に触る、
本物のオーガニックコットンの綿に触る機会を提供することです。
また親もそばで付き添うので、子供が作っている間にリーフレットを手渡しながら、オーガニックコットンの説明を聞いてもらうことです。
今の若い親たちも、本物の綿のフワフワ感を知らないので、手を出してきて綿の塊の手触りを味わって「気持ちいいですね」とニコっとこちらに微笑みかけてくれます。
昔の子供たちは、布団屋さんが家に来て布団の打ち直しをするのを見ていたので、綿に触る機会があったのですが、今は、布団の中綿はポリエステルですし、布団はホームセンターや通販で買うようになって、本当の綿の気持ち良さを知らないのが現実です。
ある小学三年生くらいの女の子が、綿を小さくちぎって少しずつ、クマのぬいぐるみの手足の先に綿を詰めています。丁寧にゆっくりとその作業を楽しんでいるようです。
見ているとなにか小声でつぶやいています。注意して聴いてみると、「命を込めて、命を込めて」と言っています。
「クマさんに命を込めているの?」と改めて聞いてみると「そうだよ、命を込めるんだよ」とはっきり答えました。頭の中でこの子は、その命について何を感じているのか、聞いてみたい衝動がありましたが止めました。
この子は最後まで丁寧に仕上げ、お母さんと手をつないで満足げにこちらに手を振りながら離れてゆきました。
「人形は顔がいのち」というひな人形の宣伝文句にあるように、人形と命にはなにかつながりが感じられるものなのです。
動物のぬいぐるみにしても、人形にしても生き物の形をした物を捨てるとき、一般の燃えるごみと一緒に出すのは気が引けます。
この気持ちを受けて、お寺によっては、人形を供養して滅してくれるサービスをしています。やはり多くの人々は、人形には命が宿っていると感じているのでしょう。きっとアジアの人々の死生観と関係があるのかもしれません。欧米では、このような風習は、かえって気持ち悪く思われるでしょう。
日本語の「かたち」という言葉は、型(かた)+血(ち)からきていて、血は命であり意識、情緒、霊魂を表しています。「仏つくって魂入れず」の諺にも表れています。
試しに、ぬいぐるみの中綿を全部抜き出して元の布地、綿と材料に戻してみると、不思議なことになんの感慨も湧いてきません。これならポイっとゴミ箱に放り込んでも気に障ることはないでしょう。
では、この逆にペラっとした側地に綿を詰めてカタチを作ってゆくことは、命、魂を吹き込んで行く作業なのだということになります。更に顔の部分に目鼻口のシールを貼って個性を与えてゆく訳で、大げさな言い方ですが、これは神に通じる崇高な作業なのだと云えなくもありません。イスラム教では偶像崇拝を厳しく禁じていますが、これもカタチそのものに力があり、神の唯一性と重複するため、それを穢れた行為とみるからでしょう。
可愛らしい少女の真理を衝いた「命を込めて」という言葉から、このワークショップの意義に改めて気付かされました。
このワークショップで時々、一人で3つも4つも作る女の子がいますが、この作業自体に魅入られているのでしょうか。
「そんなに作ってどうするの?」とすこし意地悪な気持ちが働いて聞いてみると、「何とかチャンと何とかチャンに上げるの!」とお友達や親せきの子の顔がはっきりと浮かんでいるようです。なんでそんなこと聞くの?と怪訝そうな目で答えてくれました。難しく考える方がおかしいということのようです。
文責:日本オーガニックコットン流通機構
顧問 宮嵜道男
2017/ 9/20