毎年マスコミは、終戦記念日8月15日になると戦争の悲惨さを語り、現憲法の改正論議に繋げてゆきます。 現日本国憲法はアメリカの占領下で、取り急ぎ英語で綴られた条文であり、翻訳文の曖昧な表現がいつも論議の的になっています。 戦勝国の高い目線で敗戦国に下した憲法であり、人類の理想を謳い上げながら、戦勝国アメリカに2度と歯向かってこない意図も控えていたことは、ごく自然の流れとして理解できます。
日本国憲法の条文作りに携わった人々は、敗戦国とはいえ一国の憲法作りに関われるという 名誉もあって、きっと嬉々として人類の理想を練り込んで行ったと想像します。
封建主義ではない国民主権・民主主義、法の下の平等、基本的人権の墨守、 恒久平和主義 戦争をしない誓いなど、どれも素晴らしい内容です。 ただ、このあまりにナイーブとも言える平和主義は、大前提として近隣諸国も皆な同じように 平和を希求する国家でなければ成り立たないという現実があります。近隣の反日国の動静に 対してこの法に照らしてどう対処したらよいのかの矛盾にぶつかり、長い議論に終始すること になってしまっています。
但し、この憲法の理想は結果として日本国を戦後72年の間平和で経済的にも豊かな国に導いたことは重く見たいと思います。 出自がどうあれ、法の理念は、現実を紡ぎ出すものであることを学ぶことができます。
「法」には、理想があり、意図があり、哲学・ポリシーがあります。 それが具体的な条文と なって、あるべき姿を目指し、皆でその法を大切に守り、理想に向かってゆくものです。 そしてひとたび矛盾が起きたら、皆の合意をもって改正してゆくというものです。
NOCの製品認定規準もこの憲法と全く同じように 「理想、意図、哲学・ポリシー」を持って作り 上げられてきました。
認定規準の必要性を考えたのは、オーガニックコットンという産物の持つ、崇高な精神と 実際に携わる人々の真剣さに接して、これはいい加減に単なる「商材」とみてはいけない という思いからでした。
農薬を使わないで栽培することの大変な手間暇を無駄にしてはいけない、常にこの産物に敬意を持って製品を仕上げなくてはならないという気持ちから、製品の加工工程でも同じ趣旨を貫くように考えました。 ものづくりの現場は、常に人の手が加わります。その人々の意識のありようで、この理念が 叶えられるかどうか決まってゆきます。
そこで出てきた言葉は「生産者の良心」です。
綿から糸、糸から布地そして縫製加工されて最終製品が商品として店頭に並ぶまで、 どれだけ多くの人々の手と目と判断の下で行われてゆくか考えると、生産者の良心の醸成と 同時に第三者による認定審査というある種の監視制度の必要性を感じました。
また同時に、規準があることで、生産に携わる人々自身が、安全なものづくりに注意が向き、 結果として間違いのない商品が供給され、小売企業や消費者の信頼を得られると確信しました。
世の中にある綿製品は、ほとんどすべて、漂白・染色加工その他の機能加工がなされています。 これに対して、NOCコットン規準では、一旦この業界の常識から外れて、「コットンが本来 持っている資質を100% 活かす」という理念で規準を作ってゆきました。
・製品に使用されるコットンは100%オーガニックコットンに限る。
・機能性を付加するような加工処理を制限する。
・製品の性格上止むを得ない場合は、必要最少限度を規定する。
以上の結果、現れた製品は、究極的に環境保全型・健康安全性を誇れるものでした。 見た目も、コットンの自然の優しいアイボリー色で肌触りもよく、消費者に「生成りの美しさ」 を再認識させました。
認定を取得して NOCラベルをつける権利を得るためには、審査申請書にその製品の原料から 製品までの来歴を示す書類を揃え、製造の工程中で使用された補助剤などを明記しなければ なりません。
申請者は必要書類を揃えたり、材料などの仕入れ先に改めて安全性を尋ねたり等の面倒な 作業が伴います。ただ、これも結果として生産者の良心として、オーガニックな意識を高めてもらうことになります。
当初、認定は不特定多数の企業にも行っていましたが、「生産者の良心」を共有できないと いつ何時不適切な商品にNOCラベルがついて市場に出回るという懸念から、NOCラベルの発給は、 NOCの会員に限ることにしました。会員は入会時に、不正をしないという誓約書を 提出しています。
この制度の下で、NOCの会員企業は、20年以上不祥事を起すことなく成長を続けています。 NOCの「法」の機能が活かされて、当初の理念が実現している訳です。
平成29年8月18日
日本オーガニックコットン流通機構
顧問 宮嵜道男(文責)